「一か八か」は武器か逃げか──競技者が“攻める”ときに必要な心の土台とは

私がとらないリスク──信頼関係を守るという選択
私がスポーツメンタルコーチとして活動する中で、ずっと大切にしている言葉がある。
これは、私が尊敬するスポーツメンタルコーチが語った一言。 この言葉に、私は心を打たれた。 それ以来、私自身もこの姿勢を徹底している。
どんなに結果が欲しくても、どんなに状況が厳しくても、 信頼を犠牲にするような関わり方はしない。
それは、選手の“心の土台”を守るため。 そして、選手自身が「納得して攻める」ための準備を整えるため。
この言葉を思い出すたびに、私は「リスクを取る」ということの意味を考える。 そして、ふと疑問が浮かぶ。
競技者にとって、“一か八か”は必要なのか?
「一か八か」は武器か逃げか
競技の世界では、「一か八か」という言葉がよく使われる。 勝負の流れが停滞しているとき。 相手が格上で、守っていてもジリ貧になるとき。 自分の限界を超えたいとき。 そんな場面で、思い切った選択が突破口になることは確かにある。
でも私は、こうも思う。 「一か八か」は、武器にもなるけれど、逃げにもなる。
「一か八か」が“逃げ”になるとき
競技者が「一か八か」に頼るとき、そこに自分との対話があるかどうかが重要だ。 勢いで選んだ一手が、実は準備不足のごまかしだったり、 自信のなさを「賭け」にすり替えていたりすることは、決して少なくない。
- 練習で積み上げたものを信じきれず、直前で大きく変えてしまう
- 結果が出ない焦りから、無理な選択をしてしまう
- 周囲の期待に応えようと、納得できていないまま攻めに出る
こうした「一か八か」は、自分の本音を置き去りにした衝動だ。 それは、競技者としての成長を止めてしまう可能性がある。
「納得して攻める」ことの意味
外から見れば「一か八か」に見える選択でも、 自分の中で腹が決まっているなら、それは“戦略”になる。
納得して攻めるとは、
- 自分の準備を信じていること
- その選択に責任を持てること
- 結果がどうであれ、自分の中で意味を見出せること
それは、単なる勝負勘ではなく、日々の積み重ねから生まれる“在り方”だ。
攻めることと“過去の失敗”の影響
納得して攻める──その言葉の裏には、 過去に攻めて失敗した記憶が、静かに影を落としていることがある。
「前も攻めた。でもうまくいかなかった」
「また同じことになるんじゃないか」
「もう怖くて踏み出せない」
そんな声が、心の奥でささやいている。 それは、競技者として真剣に向き合ってきた証でもある。
でも、私はこう考える。 その記憶をどう再定義するかが、次の一手の質を決める。
失敗を「学び」として処理することは、もちろん大切だ。 でもそれだけでは、どこか他人事のように感じてしまうこともある。
だからこそ、 「失敗=自分の一部」として受け入れること。
それは、痛みを否定せず、 その経験を“自分の言葉”で語れるようになるということ。
- あのとき、なぜ攻めたのか
- 何を信じていたのか
- 何が足りなかったのか
- それでも、何が残ったのか
こうして失敗を“自分の物語”に変えていくことで、 次に攻めるとき、過去の自分が味方になってくれる。
失敗は、競技者の中に静かに根を張る。 それを切り離すのではなく、抱えて進むことが、成熟の証だと私は思う。
攻めるために必要な“心の準備”
競技者が「攻める」ためには、技術や戦術だけでなく、心の準備が必要だ。 それは、試合直前に整えるものではなく、日々の中で育てていくもの。
たとえば──
- 自分の感情を言語化する習慣
- 小さな成功体験を記録しておくこと
- 「失敗しても意味がある」と思える視点
- 誰かに頼ることを“弱さ”ではなく“戦略”と捉えること
こうした準備があると、攻めるときに「怖さ」よりも「納得」が勝る。 そして、結果がどうであれ、自分の選択に意味を見出せるようになる。
私が関わる選手たちにも、こうした“心の準備”を一緒に整えていく。 それは、競技力を高めるだけでなく、競技者としての自信を育てる時間でもある。
「一か八か」に見える選択を、どう扱うか
私は、選手が「一か八か」に踏み出す瞬間を否定しない。 むしろ、その選択にどれだけの納得があるかを一緒に確認する。
- それは本当に、自分が望んでいる選択か?
- その選択に、準備と覚悟はあるか?
- 結果がどうであれ、自分の中で意味を見出せるか?
この問いに向き合うことで、 「一か八か」は、衝動ではなく、自分の意志を乗せた一手になる。
最後に──あなたはどう思いますか?
「一か八か」は、競技者にとって必要な場面もある。 でもそれは、信頼と納得の土台があってこそ、武器になる。
攻めるとは何か。 納得して選ぶとはどういうことか。 そして、自分の選択に責任を持つとはどういう在り方なのか。
このコラムを読んだ今、 あなた自身はどう思いますか?
最後までお読み頂きありがとうございました。
コラム著者