才能はどこで姿を現すのか──見えない力の正体と競技者が気づけない理由

才能という言葉は、競技者にとって厄介な言葉だと思う。 何故なら、光のように扱われる一方で、影のように掴みどころがないとも言えるから。 誰かの才能は簡単に見えるのに、自分の才能はどれだけ探しても見つからない。
なぜこんなにも見え方が違うのか。 なぜ自分の才能だけが、こんなにも曖昧なのか。
その理由は、才能という現象が 「外側」と「内側」でまったく違う姿をしているからと言える。
才能って何?
才能を語るとき、多くの人は結果を基準に考える。
速い。 強い。 大きい。器用。 センスがある。
だけど、これは才能の一部でしかない。 才能には色んな才能があるということ。もっと地味で、もっと日常的なものだってあるという事をお伝えしたい。
才能とは、 その人の身体と心が、無意識に選んでしまう偏りのことだと言ってもいい。
偏りというと悪いもののように聞こえるかもしれない。 それでも競技の世界では、偏りこそが強さをつくる。
ある選手は、動きの細部に異常なほどこだわる。 ある選手は、誰よりも早く疲労の変化に気づく。 ある選手は、緊張の中で呼吸を整えるのがうまい。 ある選手は、技術の理解が異常に速い。
これらはすべて偏り。 そして偏りは、努力ではなく その人の内部構造が自然に選んでいる反応とも言える。
だからこそ、本人は気づかない。
才能がある人ほど、それを才能と思っていない
才能がある人は、自分の才能に気づかない。 これは競技者を見ていて何度も感じる。
理由は単純で、才能は、本人にとって普通だから。
普通にできてしまう。
普通に続けてしまう。
普通に深めてしまう。
だから価値を感じない。 特別だと思わない。 むしろ「みんな同じようにやっている」と思っている。
でも、周りから見ると違う。
その普通が普通じゃない。 その自然が自然じゃない。
才能がある人ほど、 自分の才能を過小評価する。
なぜなら、 才能は努力の外側にあるから。
努力して身につけたものは「頑張った」と思える。 でも才能は、頑張った記憶がない。 だから価値を感じない。
才能は外側と内側で見え方が違う
ここが才能の最大のトリック。
外側から見ると、才能は結果として見える。 内側から見ると、才能は過程としてしか見えない。
外側の世界では、 「すごい」「特別」「恵まれている」 と評価される。
もちろん、目に見えて分かりやすい天性のものもあることは事実。
それですら、内側の世界では、 「普通」「当たり前」「大したことない」 と感じる。
このギャップが、才能を見えにくくする。
外側の視点は比較で成り立つ。 内側の視点は感覚で成り立つ。
比較は差を見つける。 感覚は差を消す。
だから、 才能は外側からは見えるのに、内側からは見えない。
才能には時間軸がある
──早く咲く才能と、遅く咲く才能
才能には、 早く咲く才能と、遅く咲く才能がある。
早く咲く才能は、 子どもの頃から目立つ。
スピード。 パワー。 器用さ。 反応の速さ。
こうした才能は、 周りからすぐに「すごい」と言われる。
でも、遅く咲く才能は違う。
遅く咲く才能は、 最初は欠点に見えることすらある。
理解に時間がかかる。
成長がゆっくり。
結果が出るまで遠回りする。
周りと比べて伸びが遅い。
でも、遅く咲く才能は、 一度咲くと深く、長く、折れにくいとも言える。
なぜなら、 その選手は自分の構造を理解しながら育っていくから。
早く咲く才能は、 早く枯れることもある。
遅く咲く才能は、 咲くまでに時間がかかるが、 咲いたあとに強い。
競技者が自分の才能を見失う最大の理由は、 自分の才能が遅く咲くタイプだと知らないから。
才能は環境によっても見えるか見えないかが決まる
才能は、持っているかどうかではなく、 どこに置かれるかで見えるかどうかが決まる。
同じ種でも、 土が違えば育ち方が変わるように。
ある環境では欠点に見える癖が、 別の環境では武器になる。
ある指導者のもとでは埋もれる選手が、 別の指導者のもとでは一気に開花する。
あるチームでは評価されない特性が、 別のチームでは中心になる。
才能は、 その人の内部だけで完結するものではない。
才能とは、 その人の偏り × その偏りが育つ環境 この掛け算で決まる。
だから、 才能が見えないのは、 才能がないからではなく、 まだ合う環境に出会っていないだけ ということもある。
才能の見つけ方
才能は、探すものではなく、気づくもの。
そして才能は、 大きな出来事の中ではなく、 日常の微細な反応の中に潜んでいる。
たとえば、
- なぜか気になるポイント
- なぜかこだわってしまう動き
- なぜか疲れない作業
- なぜか戻ってきてしまう練習
- なぜか深く理解できる技術
- なぜか他人より早く気づく違和感
これらはすべて、才能の根だと捉えてほしい。
才能は、
あなたが無意識に選んでしまう行動の中にある。
努力の外側にある。 偏りとして現れる。 疲れない場所にある。 戻ってきてしまう場所にある。
最後に
──才能とは「あなたの内部構造そのもの」
才能とは、 あなたの外側にあるものではない。
ずっと前から、 あなたの内側に静かに存在している。
ただ、静かすぎて気づかないだけ。
当たり前すぎて見えないだけ。
近すぎて掴めないだけ。
それでも、 あなたが「才能って何だろう」と問い始めた瞬間、 才能はすでに輪郭を見せ始めている。
才能とは、 あなたが気づかずに続けてきたもの。
あなたの内部構造が自然に選んできたもの。
あなたの偏りが形にしたもの。
そしてそれは、 あなたにも必ずある。
最後までお読み頂きありがとうございました。
コラム著者