科学的根拠に縛られるな──“ぶっ飛び思考”が偉大さを生む理由

スポーツメンタルコーチが語る、常識を超える競技者の思考法
科学的根拠は本当に正しいのか?
「それって、科学的に証明されてるんですか?」 この言葉を聞く機会が、年々増えているように感じます。 安心したい。納得したい。間違えたくない。 そんな気持ちが、「根拠のあるもの」に人を引き寄せるのかもしれません。
私自身も、コラムを書くときにはなるべく科学的根拠を添えるようにしています。 読者の信頼を得るために。納得感を高めるために。 でも最近、ふと立ち止まる瞬間がありました。 「科学的根拠って、本当に正しいのか?」と。
偉大な人に共通する“ぶっ飛び思考”
スポーツ選手に限らず、どの業界でも「偉大だ」と言われる人には、ある共通点があります。 それは──常識が通じないこと。
結果を残し続ける人には、必ず“ぶっ飛んだ発想”や“突き抜けた思考”があります。 そして、驚くほど謙虚でもある。 自分の枠を超えることに、恐れがないのです。
私は日々、さまざまなご縁の中で、あるアーティストのライブに定期的に呼ばれる機会があります。 その場で「吉幾三さん」という音楽業界の偉大な方をお見かけすることもあり、 その振る舞いや発想、考え方に触れるたびに、「この地位にいるのは当然だ」と納得するのです。
型破りで、でも芯がある。 そんな人たちを目の当たりにすると、科学的根拠の限界を感じずにはいられません。
科学的根拠の“取り方”とは?
では、科学的根拠とはどうやって生まれるのか? ここで少し、科学的エビデンスの仕組みを整理してみましょう。
科学的根拠とは
統計的な手法や実験によって得られた「再現性のあるデータ」のこと。 つまり、「多くの人に当てはまる傾向」を示すものです。
エビデンスの取り方
- 仮説を立てる
- 実験や調査を行う
- 結果を分析し、統計的に有意かどうかを判断する
- 極端なデータ(ぶっ飛んだ結果)は“外れ値”として排除されることが多い
ここがポイントです。 科学的根拠は「平均値」や「傾向」を重視するため、 突出した結果や異常値は“例外”として扱われることがあるのです。
でも、偉大な人は“例外”である
では、偉大な結果を残す人はどうか?
彼らは、まさにその“例外”の中にいる人たちです。
- 常識にとらわれない
- 周囲と違うことを恐れない
- 自分の感覚を信じて突き進む
- そして、結果を出す
科学的根拠では説明できないような成果を出す人は、 「ぶっ飛んだ人」として排除されるのではなく、 「新しい常識をつくる人」として歴史に残っていくのです。
科学的根拠に“縛られすぎる”落とし穴
もちろん、科学的根拠を否定するつもりはありません。 それは大切な指標であり、安心材料でもあります。 でも、そこに“縛られすぎる”と、落とし穴がある。
- 自分の直感を信じられなくなる
- 周囲と違うことを避けるようになる
- 新しい挑戦をする勇気が持てなくなる
つまり、自分の可能性を“平均値”の中に閉じ込めてしまうのです。
科学と“ぶっ飛び”の両立
では、どうすればいいのか? 答えは、「科学的根拠とぶっ飛び思考を両立させること」です。
- 根拠を参考にしながらも、自分の感覚を大切にする
- 平均値を知ったうえで、例外になる覚悟を持つ
- 周囲と違うことを恐れず、自分の軸を育てる
これは、競技者にとって非常に重要な思考法です。 科学的なトレーニング理論を取り入れながらも、 自分だけの“勝ちパターン”を見つけていくことが、結果につながるのです。
イチローが教えてくれた「自分だけの正解を信じる力」
イチロー選手は、科学的トレーニング理論とは一線を画す独自のルーティンを貫いてきました。 毎日の食事、バットの角度、練習時間──どれも“自分の感覚”を最優先に設計されたものでした。
彼はこう語っています:
科学的根拠に頼るのではなく、自分の中にある“確信”を育てる。 それは、ぶっ飛んでいるようでいて、誰よりも深く自分を理解している証でもあります。
イチローのような選手は、平均値の中に収まることを拒み、 “自分だけの正解”を信じ抜いたからこそ、常識を超える結果を残せたのです。
最後に
──“根拠に縛られない柔軟さ”を持とう
私は、科学的根拠を否定しません。 でも、それだけに頼ることはしません。 それは、私自身の価値観でもあり、選手に伝えたいメッセージでもあります。
- 根拠を参考にする。でも、縛られない
- 自分の感覚を信じる
- 周囲と違うことを恐れない
- そして、結果を出す
そんな柔軟な思考を持つ競技者が、 これからの時代に“新しい常識”をつくっていくのだと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。
コラム著者