「負けて帰ってこい」──選手ファーストの本質に触れた瞬間

「負けて帰ってこい」
この言葉を初めて聞いたとき、私は正直、戸惑った。 それは、同業者であり、私が深く尊敬しているメンタルコーチの方が語った言葉だった。
もちろん、選手に直接伝えることはない。 でも、その人はこう言った。 「選手のためを思うからこそ、そう思うことがあるんです。」
その時の自分には、まだその感情の奥行きが理解できなかった。 負けを願うなんて、すごい。 そう思っていた。
試合視察で感じた“違和感”
それから、私自身も経験を積み、様々な選手と向き合ってきた。 そして先日、ある選手の試合を視察したとき、ふと自分の中にある感情に気づいた。
「負けて帰ってくればいい。」
無意識にそう思っていた自分がいた。 その瞬間、あの言葉が頭をよぎった。 「負けて帰ってこい」──確かに、私も感じている。
勝利だけが“正解”ではない
選手の状態を見ていく中で、私は確信した。 必ずしも、結果を残すことが“正解”ではない。 むしろ、負けることでしか得られない気づきや成長がある。
私は今だから「結果がすべてではない」 「失敗のプロになれ」といったテーマでコラムを書いるけれど。 その言葉を聞いた当時、頭ではわかっていても、正直に言えば、私はまだ“結果”に囚われていた。
選手が結果を出したとき、私は嬉しかった。 でもその喜びは、本当に選手のためだったのか? それとも、自分の承認欲求を満たすためだったのか?
そんな問いが、過去の自分に突き刺さる。
選手ファースト
──言葉と実践のギャップ
「選手ファースト」 この言葉は、スポーツ指導やメンタルサポートの現場でよく使われる。 でも、それを本当に体現できているか?と問われると、答えに詰まる人も多い。
- 選手のためと言いながら、結果を求めてしまう
- 成長のためと言いながら、失敗を避けさせてしまう
- 自信を育てると言いながら、安心ばかり与えてしまう
選手ファーストとは、選手の“今”ではなく、“未来”を見据えることだと思う。 そしてその未来には、必ず“負け”や“失敗”が含まれている。
「負けて帰ってこい」の本質
この言葉は、決して冷たい願いではない。 むしろ、選手の本質的な成長を願う、深い愛情の裏返しだ。
- 負けることでしか見えない課題がある
- 負けることでしか芽生えない覚悟がある
- 負けることでしか育たない“自分との対話”がある
勝利は、時に“気づき”を奪う。 順調すぎると、見えない課題を見逃してしまう。 だからこそ、負けることでしか得られないものがある。
成長のための“痛み”を受け入れる
スポーツの世界では、勝者と敗者が必ず存在する。 でも、敗者=失敗者ではない。
むしろ、敗戦をどう受け止め、どう意味づけるかによって、 その経験は“成長の糧”になる。
最近では、「敗戦後のメンタルケア」や「失敗の受容」が注目されている。選手が敗戦を通して自分と向き合い、 指導者やコーチがその痛みに寄り添うことで、 次のステージへの扉が開かれる。
自分自身の問い直し
私は今でも、自分に問い続けている。
- 選手が結果を出したときの喜びは、本当に選手のためか?
- 自分の評価や承認欲求が混ざっていないか?
- 本当に“選手ファースト”を体現できているか?
この問いは、終わりがない。 でも、問い続けることこそが、選手と向き合う姿勢の証だと思う。
少しだけ、成長できた気がした
「負けて帰ってこい」 この言葉の意味を、少しだけ理解できた気がした日。 それは、私自身が“選手ファースト”の本質に一歩近づけた瞬間だった。
選手の未来を信じること。 そのために、今の勝利にこだわらないこと。 そして、失敗を“成長の入口”として受け入れること。
それが、私が目指すスポーツメンタルコーチの在り方だ。
そして、もし今日、誰かが負けて帰ってきたなら——私はその人の隣に静かに座りたい。 その痛みの中に、未来の芽があると信じているから。
選手が歩む道のそばで、私もまた、終わりなき成長の旅を続けていきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。
コラム著者