自分らしい競技のために─“違うこと”が価値になる瞬間

競技の現場で、本当はもっと違うやり方を試したいのに、口に出すのが怖い──そんな経験はありませんか? 周囲と違う考えを持ちながらも、チームで浮いてしまうのが不安で、自分の挑戦を飲み込んでしまったこと。 “みんなと同じ”であることが求められる空気のなかで、 「自分らしく競技したい」という本音が、どこか見えない蓋に閉じ込められている──そんな感覚。
もしあなたが、そんな違和感と静かに向き合っているのだとしたら、このコラムはきっと、あなたの本音に寄り添う言葉になるはずです。 挑戦する勇気を奪われそうな瞬間に、 “違うという選択”が、どんな意味を持っているのか──競技者の視点で、丁寧に紐解いていきます。
なぜ違うことが怖いのか
「みんながそうしているから」 「普通はこうするよ」 そんな言葉に、どれだけの競技者が可能性を縛られてきただろうか。
競技の世界には、無言のルールがある。 同じ練習メニュー、同じ声かけ、同じ目標。 誰かと違うことをすれば、浮く。 そして浮いた瞬間、居場所が揺らぐ。
それが怖い。 違うと否定される。 笑われることもある。 「お前、意識高すぎじゃね?」 「そんなやり方、誰もやってないよ」
競技者は孤独になりたくない。 チームの一体感は、勝利の土台だから。 監督の信頼、仲間との連携──どれも欠かせない。 だから、違うことをするという選択肢が、自分の中から消えていく。
その選択の先に、本当に「自分が輝ける競技」はあるだろうか? 「みんなと同じ」だけで、自分の価値は届くのだろうか?
違いを怖がる心のメカニズム
心理学では、人は「承認欲求」と「所属欲求」を同時に持つとされている。 誰かに認められたい。 仲間でいたい。 競技者であればあるほど、この欲求は強くなる。 競技とは、自己表現であると同時に、他者との関係性の中で成立しているからだ。
違うことをすると、承認されないかもしれない。 仲間でいられなくなるかもしれない。 だから、脳はそれを「危険」と判断する。 結果、自分の“やりたいこと”よりも、“周囲との同調”を選ぶようになる。
その防衛反応は、生きる上では自然だ。 でも競技の世界では、それが可能性を奪う。
「試したかったけど、やめた」 「こうすれば自分に合うかもと思ったけど、言えなかった」
その積み重ねが、“自分らしさの喪失”に繋がる。
異なることが、道になる
かつて、ある選手がいた。 投手として一流。 打者としても一流。 誰もが「どちらかを選ぶべき」と言った。 「二刀流なんて甘い」「通用するわけがない」 それでも彼は、“どちらもやる”と決めた。
大谷翔平──彼が見せたのは「周りと異なることを恐れない心」だった。 笑われても、ブレなかった。 先例がなくても、進んだ。 自分の身体と心に、耳を傾けて。 その結果、世界でただ一人、“二刀流”を本物にした選手となった。
彼が証明したのは、「異なる挑戦は、価値を生む」という事実。 そして、それはあなただけの競技にも言えることだ。
周りと異なる勇気のメンタル術
異なる勇気を持つには、メンタルの土台が必要だ。 違っても、否定されたとしても──“自分が納得できる方向”を選べる力。
1. 意味の再定義
「違う=否定」ではなく、「違う=可能性」だと脳に教える。 「誰もやってないこと=価値がない」ではなく、「誰もやってないからこそ、意味がある」
2. 小さな挑戦を積む
・いつもと違う視点でメニューを分析してみる ・少し違う練習方法を試してみる ・自分に合うルーティンを独自に作ってみる → “違うこと”に慣れると、怖さの感度が下がっていく
3. 自己対話の習慣
「本当はどうしたい?」と自分に聞く。 人の目よりも、自分の声を尊重する練習を続ける。
競技者のあなたへ
今、「周りに合わせた方がいいかな」と感じているかもしれない。 でも、その瞬間こそ問いかけてみてほしい。 「それは本当に、自分が納得できる選択か?」
競技は、勝つことだけが目的ではない。 自分を表現すること、意味を見出すこと、人生を輝かせること──そのすべてが競技の中にある。
だから、どうか異なってほしい。 浮くかもしれない。 笑われるかもしれない。 でも、あなたの挑戦が、競技の意味を再定義するかもしれない。
笑われても、自分を貫けるか。 その勇気が、競技を人生に変える選択になる。
コラム著者