誰もいない道を誰よりも遠くへ──樋口久子が切り拓いた“世界”と“自分”

幼少期~陸上選手時代の背景
1945年、埼玉県川越市に生まれた樋口久子さん。 幼少期は活発な少女で、陸上競技に打ち込んでいた。中学時代には短距離走で県大会に出場するほどの実力を持ち、当時の夢は「体育教師になること」だった。
だが高校時代、姉が勤務していた東急砧ゴルフ場で中村寅吉さんと出会い、運命が動き出す。 ゴルフクラブを初めて握った日、彼女は「これが自分の道かもしれない」と直感した。
ゴルフとの出会いと師匠・中村寅吉さんとの関係
中村寅吉さんは当時、男子ゴルフ界の第一人者。 彼は樋口久子さんの素質を見抜き、「本気でやるなら教える」と言った。 その言葉に背中を押され、樋口久子さんは高校卒業後すぐに弟子入り。 川越カントリークラブで練習場スタッフとして働きながら、プロを目指す日々が始まった。
川越カントリークラブでの下積み生活
早朝からボール拾い、昼は接客、夜は打ち込み。 練習時間は限られ、経済的にも厳しい。 それでも彼女は「誰にも頼らず、自分の力で道を切り拓く」と決めていた。
「雨の日だけが休める日だった。でも私は雨が嫌いだった。どこかで誰かが晴れの中で練習していると思うと、焦った」 この言葉に、彼女のストイックさが滲む。
女子プロ創成期の孤独と偏見
1967年、第1期女子プロテストに合格。 だが当時、女子プロゴルファーは「珍しい存在」でしかなかった。 スポンサーも少なく、試合数も限られ、偏見も根強い。
「女がゴルフで食べていけるわけがない」 そんな声が当たり前に飛び交う中、樋口久子さんは黙って結果を出し続けた。
1968年から1979年までの間に賞金女王を11回獲得。 国内通算69勝という圧倒的な記録を打ち立てた。
海外挑戦の文化的・言語的障壁
1970年代、樋口久子さんはアメリカツアーへの挑戦を決意。 言葉も文化も違う異国の地。 周囲に日本人選手はおらず、孤独とプレッシャーの中での戦いだった。
ホテルの予約も、食事も、移動もすべて一人。 「試合よりも、日常生活のほうが緊張した」 それでも彼女は、世界に挑むことをやめなかった。
メジャー制覇の裏にあった精神的葛藤
1977年、全米女子プロゴルフ選手権で優勝。 これは、男女通じてアジア出身選手初のメジャー選手権制覇という歴史的快挙だった。
だがその裏には、極度の緊張と自己否定があった。 「勝たなきゃいけない。でも勝てる気がしない」 そんな葛藤を抱えながら、彼女は静かにクラブを振り続けた。
岡本綾子さんとの関係と誤解
長年にわたり「不仲説」がささやかれていた岡本綾子さんとの関係も、実際にはメディアによる誤解が多かった。
メディアがいかに信用がなくアスリートを苦しめるのか物語っている。
実際は互いに尊敬し合い、孤独な戦いを知る者同士としての絆があった。 「彼女の努力は本物だった」 樋口久子さんはそう語っている。
引退後の女子ゴルフ界への貢献
1997年から14年間、日本女子プロゴルフ協会の会長を務めた樋口久子さん。 その間に、宮里藍さんら若手の育成に尽力し、プロとしての振る舞いや礼儀、メディア対応まで指導した。
新人研修では、裏方の仕事を体験させるなど、競技者としての“人間力”を育てる教育を徹底。 その土壌が、今の日本女子ゴルフの黄金期を支えている。
「勝ち続けることの苦しみ」への脳科学的考察
勝ち続けることは、脳にとって強いストレスとなる。 報酬系(ドーパミン)が過剰に刺激されると、次の勝利が「当然」と認識され、達成感が薄れる。 その結果、慢性的な不安と自己否定感が生まれやすくなる。
樋口久子さんは「勝っても嬉しくない時期があった」と語っている。 それでも彼女は、勝ち続けることを“責任”として受け止めた。
孤独な挑戦者が支えたもの
樋口久子さんは、迷いや不安を言葉にすることなく、ただ黙々とクラブを振り続けた。 「やるしかない」と決めたその瞬間から、彼女の中に“迷い”という選択肢はなかった。 誰もいない道を歩くことは、時に自分の存在そのものを疑いたくなるほど孤独だ。 それでも彼女は、結果でしか跳ね返せない世界の中で、静かに覚悟を積み重ねていった。
「前例がない道を進む」ことの心理的負荷とその乗り越え方
前例がない道は、常に不安と隣り合わせ。 「誰もやっていないからこそ、やる」 その覚悟は、“孤独を受け入れる力”とセットだった。
樋口久子さんは、誰もいない道を、誰よりも遠くまで歩いた。 その足跡は、今も女子ゴルフ界の礎となっている。
最後のメッセージ
あなたが今、誰にも理解されない挑戦をしているなら。 誰も歩いていない道に立っているなら。 その瞬間こそ、樋口久子さんの物語を思い出してほしい。
挑戦とは、“勝つこと”ではなく、“進むこと”。 その一歩が、未来の誰かの道になる。
最後までお読み頂きありがとうございました。
コラム著者