まだ見ぬ選手の姿を信じる──スポーツメンタルコーチとしての覚悟

スポーツメンタルコーチとして、私が大切にしていること。
それは、選手自身以上に、選手の可能性を信じることです。
目標を掲げる瞬間、選手の中にはまだ迷いや不安がある。 「本当にできるのか」「自分にふさわしいのか」 そんな問いが、心の奥で静かに揺れている。
でも私は、その揺れを否定しない。 むしろ、その揺れの中にこそ、可能性の種があると信じている。 人は、達成したいと願った瞬間から、その可能性を生み出す。 だからこそ、目標設定の場では「できるかどうか」ではなく、 「本当にそれを望んでいるかどうか」が問われる。
私は、選手がどんなに大きな目標を掲げても、 それが心からの願いであるなら、迷いなく信じる。 その信じる姿勢が、選手の内側に静かに伝わっていく。
信じるとは、先に見ること
選手がまだ見えていない未来を、私は先に見る。 その目標を達成した姿を、具体的に、鮮やかに、心に描く。 それは単なるイメージではなく、 選手の可能性を“先に生きる”ということ。
信じるとは、待つことではない。 信じるとは、先に歩くこと。 その歩みが、選手の足元を照らす光になる。
スポーツメンタルコーチとは、可能性の代弁者
私は、選手の代わりにその可能性を語る者でありたい。 選手がまだ言葉にできない願いを、 まだ信じ切れていない未来を、 静かに、確かに、代弁する者でありたい。
それが、スポーツメンタルコーチとしての私の在り方です。
他の誰でもない、私だからできる関わり方
スポーツメンタルコーチは、技術や知識を提供するだけでは足りない。 選手の心に寄り添い、揺れに伴走し、 その人自身がまだ信じ切れていない可能性を、先に信じる存在であるべきだと私は思っています。
多くのスポーツメンタルコーチは「現実的な目標」「段階的な成長」を重視する。 それはもちろん大切な視点です。 でも私は、選手が心から望む目標に対して、 「それはちょっと…」とブレーキをかけるような関わり方はしたくない。
私が見ているのは、“今の選手”ではなく、“まだ見ぬ選手の姿”。 その未来を、選手自身よりも先に信じる。 それが、私のスポーツメンタルコーチングの核です。
私が扱っているのは「技術」ではなく「存在」
選手の言葉にならない願い、 揺れ動く感情、 自分でも気づいていない可能性──
それらを丁寧にすくい上げ、 言葉にし、 信じることで、 選手の“存在そのもの”を支える。
私は、選手の「目標達成」だけでなく、 その人が「自分を信じられるようになるプロセス」に関わっている。 それは、単なるメンタルサポートではなく、 “存在の伴走”だと考えています。
熱量は、静かに燃える
私は、声を荒げて鼓舞するタイプではありません。 でも、静かに、深く、確かに、選手の心に火を灯すことはできる。 その火は、外から見えなくても、 選手の内側で、確かに燃え続ける。
「この人は、自分のことを本気で信じてくれている」 そう感じたとき、選手の中に眠っていた力が目を覚ます。 それは、技術では引き出せない領域です。 それは、信じるという“在り方”からしか生まれない。
だから私は、スポーツメンタルコーチで在り続ける
私は、選手の結果だけを見ているわけではありません。 その人が、どんなふうに自分を信じられるようになっていくか。 どんなふうに、自分の可能性を育てていくか。 そのプロセスに、深く関わりたい。
スポーツメンタルコーチとして、 私は「信じる力」を届けたい。 それは、選手の心の土台になるもの。 それは、技術や理論では届かない場所に届くもの。
最後のメッセージ
──「違い」は、在り方に宿る
私が他のスポーツメンタルコーチと違うのは、方法論ではありません。 違いは、在り方に宿ります。
選手の可能性を、選手自身以上に信じる。 その信じ方に、妥協はない。 その信じ方に、技術は要らない。 必要なのは、覚悟と、祈りのようなまなざし。
私は、そういうスポーツメンタルコーチで在りたい。 そして、もしあなたが今、 「本気で信じてくれる誰か」を探しているなら── 私は、あなたの可能性を、誰よりも先に信じる準備ができています。
コラム著者