優しすぎるとダメなのか─スポーツメンタルコーチとしての問いと実践

あなたは「優しすぎる」と言われたことがありますか?
その言葉に、少し戸惑った経験はないでしょうか。 優しさは美徳のはずなのに、時にそれが「弱さ」や「甘さ」として扱われることがある。 とくに競技の世界では、「優しさ」が不要なもののように語られる場面も少なくありません。
私自身、プロを目指していた頃に「優しすぎる」と指摘されたことがあります。 当時はその意味がよく分からず、ただモヤモヤとした感情だけが残りました。 優しいことがなぜダメなのか。 優しさは、競技者としての欠点なのか。
今、スポーツメンタルコーチとして活動する中で、あの言葉の意味に少しずつ向き合えるようになってきました。 そして改めて、「優しさとは何か」「それは本当に“ダメ”なのか」という問いを、日々の実践の中で考え続けています。
優しさをめぐる対話──視点を広げるトレーニングの場
先日、日本スポーツメンタルコーチ協会の場で、コーチ同士が「優しさ」について討論する機会があった。 この協会では、物事を良い・悪いで判断せず、さまざまな視点を持ち寄るための対話の場が定期的に設けられている。 それは、単なる知識の交換ではなく、“他者の脳を借りる”ことで自分の思考の限界を広げるトレーニングでもある。
この日も、優しさについての議論は深かった。 「優しさは甘さに繋がるのではないか」 「厳しさこそが選手を伸ばすのではないか」 「優しさと厳しさは対立するものなのか」 そんな問いが飛び交いながら、それぞれの経験や価値観が交差していった。
優しさと厳しさ──どちらにもメリットがある
議論を通して改めて感じたのは、優しさにも厳しさにも、それぞれのメリットがあるということ。
優しさのメリットは──
- 選手の心に寄り添える
- 安心感を与え、自己開示を促す
- 長期的な信頼関係を築ける
- 挑戦への心理的安全性をつくる
一方で、厳しさのメリットは──
- 選手の限界を押し広げる
- 自己責任を促す
- 本番への覚悟を育てる
- 結果に向き合う姿勢を鍛える
そして気づいたのは、厳しさの根本にも優しさがあるということ。 本気で選手の成長を願うからこそ、時に厳しく接する。 それは、思いやりの裏返しであり、信頼の証でもある。
「優しすぎる」は本当にダメなのか?
では、「優しすぎる」は本当にダメなのか。 この問いに対する答えは、今もなお揺れている。 ただ一つ言えるのは、優しさが“逃げ”や“甘さ”になったとき、それは選手の成長を妨げる可能性があるということ。
優しさとは、ただ寄り添うことではない。 時に、選手にとって耳が痛い言葉を伝えることも、優しさの一部だ。 その言葉が、選手の未来を支えると信じられるなら、厳しさもまた優しさになる。
だからこそ、優しさと厳しさは対立するものではなく、補い合うものだと感じている。
思考と視点を広げるトレーニング──コーチ自身の成長
このような思考や視点を広げるトレーニングは、スポーツメンタルコーチにとって非常に重要だ。 選手を支える立場である以上、コーチ自身が思考停止していてはならない。 自分の価値観に閉じこもるのではなく、他者の視点を借りながら、問い続ける姿勢が求められる。
- 自分の優しさは、どこから来ているのか
- 厳しさを伝えるとき、そこに思いやりはあるか
- 選手にとって、今必要なのはどちらか
こうした問いを持ち続けることが、コーチとしての“在り方”を育てていく。
アスリートのために、コーチ自身が努力を積み重ねる
優しさとは、静かな努力でもある。 選手の言葉に耳を傾け、心の揺れに寄り添い、必要なタイミングで必要な言葉を届ける。 それは、表面的な優しさではなく、深い理解と覚悟に裏打ちされた関わり方だ。
だからこそ、私自身も競技者と同様に、自分にできる努力を毎日積み重ねていきたい。 思考を止めず、問いを持ち続け、視点を広げる。 その積み重ねが、より多くのアスリートのサポートに繋がると信じている。
まとめ──優しさとは、問い続ける力
「優しすぎるとダメなのか」 この問いに、明確な正解はない。 ただ一つ言えるのは、優しさも厳しさも、選手の未来を思うからこそ生まれるものだということ。
優しさとは、問い続ける力。 厳しさとは、信じているからこそ伝える勇気。
そしてその在り方は、選手の心に静かに届き、 競技の場での“本番力”を支える土台になる。
優しすぎるとダメなのか── その問いを、これからも持ち続けながら、私は今日も汗をかいて準備をする。