感情を言葉にする習慣──自己理解の入口にある日記

書くことで、感情が整っていく──日記習慣のすすめ
「日記って、どうせ続かない」 そう思っている方は、少なくないかもしれません。 忙しい日々の中でわざわざ書く時間をとるのも簡単ではなく、何を書けばいいのか迷うこともあります。 ただ、ほんの一行でも言葉にしてみると──それは自分の心に向き合う小さな対話の時間へと変わっていきます。
「日記を書く」という行為は、ただ出来事を残すためのものではありません。 実際にあったことに対して、「そのとき自分はどう感じたのか」を書くことで、感情の整理が始まっていきます。
たとえば── 「今日は試合でミスをした。少し焦った。」 「仲間に言われた一言が、なぜか胸に残った。怒りなのか、悔しさなのか、まだはっきりしない。」
このように、“出来事”と“感情”をセットで書くことが、気持ちの動き方を捉える第一歩になります。
感情の記録から見えてくること
続けているうちに、自分自身の感じ方や反応には一定の傾向があることに気づくようになります。
- 人からアドバイスを受けると、「責められた」と感じやすい
- 試合前の緊張は、結果ではなく“見られること”への意識が強く働いている
- 落ち込んだ日は、誰かと話すよりも「一人で書き出す方」が回復に向かいやすい
- 悔しさの正体は、相手より「自分の準備不足」に向いていた
こうした傾向は、話すだけでは見えにくいもの。 書くことで、少しずつ“自分の気持ちの動き方”が見えてきます。 それは、自己理解に繋がる穏やかな入り口です。
書くことが、整える力になる
気持ちの動き方が見えてくると、どう整えればいいかも自然にわかってきます。
- 不安を感じたときは、考えるよりも「書き出す」ことで軽くなる
- 気分が下がっているときに響く言葉の傾向が見えてくる
- 焦っている日は「〇〇をしてから休む」という“自分なりの戻し方”が見つかる
- 夜より朝の方が、自分に素直になれると気づく
日記は、“感情を無理に抑える”ものではありません。 扱えるようにするための手段です。 言葉にしていくことで、「今の自分に何が必要か」を自然に選べるようになってきます。
自己理解のための静かな習慣
競技に取り組むとき、仕事や人間関係に向き合うとき── 「自分は何を大切にしているのか」 「どういうときに気持ちが動きやすいのか」 「どんな場面で判断がぶれやすくなるのか」 そうした問いを持つ瞬間が、誰にもあるはずです。
日記には、その問いに触れる小さなヒントが詰まっています。 過去の自分との対話、今の自分の整理、そして未来へ向けた静かな記録。 それが、自分自身と向き合う時間として育っていきます。
書き続けることで、信頼できる自分を育てる
日記には、特別なルールはありません。 出来事と、それに対して自分がどう感じたか── この2つをセットで書くこと。 それが感情の流れを整えるきっかけになります。
その記録はいつか、 判断が迷ったとき、 不安が強くなったとき、 自分だけが使える“整えるマニュアル”になります。
そしてそれは、 誰かに頼る前に、 自分を信じられる力を育ててくれるものになるのです。
次回コラム予告
次回のコラムでは、「自己理解が深まると、何が起こるのか」について紐解いていきます。 自分との関係が深まったとき、 競技や人との関わり方に、どんな変化が生まれるのか。 その空気を、静かにお届けできれば嬉しく思います