「意志道拓」──長谷川穂積、心で闘ったボクサーの軌跡

世界3階級制覇という偉業を成し遂げ、現役世界王者のままリングを去った男がいる。 その名は、長谷川穂積。兵庫県西脇市出身の元プロボクサーであり、日本ボクシング界のレジェンドだ。
幼少期の反発と再出発
長谷川がボクシングに触れたのは小学2年生。元プロボクサーの父から厳しく指導されたが、その反発から中学時代は卓球部に所属。市大会で優勝するほどの腕前だった。 しかし、17歳のときに出会った女性(のちの妻)との同棲を望み、父から「高校卒業とボクシングジム入門」を条件に提示される。これが、彼の本格的なボクシング人生の始まりだった。
プロデビューと世界への道
1999年、プロテストに2度目の挑戦で合格。デビュー後は判定負けも経験しながら、着実に実力をつけていく。2003年にはOPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得。 そして2005年、日本武道館で行われたWBC世界バンタム級王座戦。相手は辰吉丈一郎や西岡利晃を破った“日本の宿敵”ウィラポン。壮絶な打ち合いの末、判定勝ちで世界王座を奪取した。
この試合は「年間最高試合」に選ばれ、西脇市民栄誉賞も受賞。以降、10度の防衛に成功し、そのうち7度はKO勝ち。 「地味なチャンピオンでいい」と語っていた彼は、次第に“倒すボクシング”へとスタイルを変えていった。
減量苦と家族の支え
バンタム級時代、試合ごとに13kg以上の減量を強いられた。 「減量を忘れていた」と語るエピソードもあるほど、過酷な調整が続いたが、妻・泰子さんの献身的なサポートがあった。 彼女は管理栄養士の資格を持ち、試合前には一緒に減量を行い、料理の盛り付けまで工夫していたという。
試合後には「顎の次は心折ったろか」と言われるほどの“恐妻家”エピソードもあるが、それは愛情と信頼の裏返し。 長谷川は「一緒に戦っているつもりです」と語っている。
母の死とフェザー級王座
2010年、母が大腸がんで他界。 「母のために勝ち続けて医療費を稼ぎたい」という思いが、彼のモチベーションだった。 その1ヶ月後、フェザー級王座を獲得。リング上で母の遺影を掲げ、涙ながらに勝利を報告した。
奇跡の3階級制覇と引退
2016年、ピークを過ぎたと見られていた中、WBCスーパーバンタム級王者ウーゴ・ルイスに挑戦。 9ラウンド、ロープ際での激しい打ち合い。王者の連打を浴びながらも、足を止めて応戦。 「死に場所ではなく、生きる場所が見つかった」と語ったその試合で、TKO勝利。 5年5ヶ月ぶりの世界王座復帰と、3階級制覇を果たした。
そして同年12月、現役世界王者のまま引退を発表。 「ベルトを守る理由が見つからなかった。気持ちが入らないまま試合をして負けた経験があるから、同じことはしたくなかった」と語った。
意志道拓──心で闘うということ
座右の銘は「意志道拓」。自分の意志で道を切り拓く。 それは、勝敗だけでなく「なぜ闘うのか」「どう生きるのか」を問い続けた彼の姿勢そのものだ。
長谷川穂積のヒストリーは、ただの勝者の物語ではない。 敗北、減量、家族の死、葛藤──それらすべてを抱えながら、彼は「心で闘う」ことを選び続けた。
諦めそうなとき、迷いが生まれたとき。 彼の言葉と生き方は、静かに背中を押してくれる。
最後のメッセージ
諦めたいと思う瞬間は、誰にでも訪れます。 でもそのときに、「諦めない理由」を思い出せるかどうか──それだけが、次の一歩を決めていく。
長谷川穂積さんは、勝つことだけを目指した人ではありません。 “勝ち続ける理由があるか”を問い続け、見つからなくなったときには潔く引いた。 その姿勢こそが、本当の強さなのだと思います。
あなたにも、まだ踏み出していない道があるなら。 悔しさや不安の中に立ち止まっているなら。 今日、ここからもう一度歩き出してください。
小さな気持ちの灯が、“挑戦する自分”を思い出させてくれます。
あなたの意志が、きっと道になる。 その歩みは、もう闘いの始まりです。
コラム著者