努力を努力だと思わなくなる瞬間──その前に必要なのは“自分への敬意”

競技の世界にいると、「努力は当たり前」「努力は裏切らない」という言葉を何度も耳にします。 そして多くの選手が、努力を積み重ねることを当然のように続けています。
けれど、ある瞬間にふと気づくことがあります。
「努力がつらい」 「頑張っているのに心が重い」 「続けているのに、なぜか苦しい」
努力しているはずなのに、心が整わない。 むしろ、努力すればするほど苦しくなる。
そんな経験をしたことがある人は、決して少なくないのではないでしょうか。
このコラムでは、 努力を努力だと思わなくなる境地 そして そこに至るために必要な“努力を認め、褒める”というプロセス について、競技者の視点から深く掘り下げていきます。
努力が苦しくなる理由
──「努力の質」が変わる瞬間
努力が苦しくなるときには、いくつかの共通したパターンがあります。たとえば、努力そのものが“義務”のように感じられてしまったり、他人との“比較”の材料になってしまう、あるいは努力が“結果を得るためだけの手段”として扱われてしまっている。
さらには、努力がうまくいかないときに「自分を責める理由」として使われてしまうことだってあり得るんです。
こうした状態になると、努力そのものが悪いわけではないのに、努力に向ける“意識の質”が重くなってしまい、心がどんどん疲れていきます。
「もっとやらなきゃ」「これくらいできて当然」「続けられない自分はダメだ」──そんな内側の声が強くなるほど、努力は重荷となり、苦しさが増していきます。
つまり、努力が苦しくなるのは、努力の“量”が問題なのではなく、努力に対して自分がどんな“意味づけ”をしているかがすごく大きく影響しているんです。
努力を努力だと思わない人の秘密
一方で、努力を努力だと思わずに続けられる人がいます。
彼らは特別な才能があるわけではなく、ただただ、努力に対する“意識の向け方”が違うだけなんです。
努力を努力だと思わない人には、いくつかの共通した特徴があります。
彼らはまず、行為そのものを楽しんでいるということ、結果のために無理をしているのではなく、取り組んでいる最中の感覚そのものに喜びや興味を感じているんです。
また、小さな進歩に気づける感性を持てているからこそ、「まだ足りない」と自分を追い込むのではなく、「今日も少し前に進めた」と自然に自分を肯定できている。
さらに、彼らの意識は結果よりもプロセスに向いています。
結果はあくまで“後からついてくるもの”であって、今この瞬間の取り組みそのものに価値を感じている。
だからこそ、「やらなきゃ」という義務感ではなく、「やりたい」という内側から湧き上がる感覚に近い形で行動しているんです。
こうした積み重ねによって、努力は特別なものではなく“自然な行動”へと変わっていきます。
努力が自分の生活や思考の流れに馴染み、まるで呼吸のように当たり前のものになった瞬間に、努力はもはや努力ではなくなる。
その状態になったとき、努力が“自分の一部”として根づいたと言える。
では、どうすればその境地に行けるのか?
ここが多くの競技者がつまずくポイントだと思っています。
努力を努力だと思わない境地に行くためには、 実は、最初に“努力を努力として認める”ことが必要です。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、 これは非常に重要な心理の構造です。
努力を認めることが、努力を軽くする
努力を努力だと思わなくなる人は、 最初から努力を軽く扱っていたわけではない。
むしろ逆で、 努力している自分を丁寧に認め、褒めることを積み重ねてきた人なんです。
努力を認めることは、 努力に対する“意味づけ”を変えます。
「やらなきゃ」 → 「やれている」
「まだ足りない」 → 「今日も一歩進んだ」
「続けられない自分はダメ」 → 「続けようとしている自分はすごい」
この変化が、努力を“自然な行動”へと変えていく。
つまり、 努力を努力だと思わなくなるためには、 まず努力を努力として認め、褒める必要がある。
これは、競技者にとって非常に重要な視点なんです。
努力を褒めることは、メンタルを整える行為
努力を褒めることは、単なる自己肯定ではありません。 これは、競技者のメンタルを整えるためには欠かせないものといっても過言ではないです。
努力を褒めるという行為には、想像以上に大きな力があります。
まず、自分の努力を認めることで「自分にはできる」という感覚、私のコラムで毎度のごとくあらわれる「自己効力感」が高まります。この感覚は、競技者にとって大きな武器です。
自分を信じられる選手は、どんな状況でも折れにくくなる。
さらに、褒められた行動は脳に“快”として刻まれ、その行動をもう一度やりたくなるようになる。
結果、努力が「やらなきゃ」ではなく「自然とやってしまう」ものへと変わっていくんです。
これは、努力を継続するうえで非常に重要な変化になります。
努力を褒める習慣が身につくと、結果へのプレッシャーも軽くなって努力そのものに価値を感じられるようになるため、「結果が出なかったらどうしよう」という不安が弱まり、心に余裕が生まれる。
結果に縛られない選手は、パフォーマンスが安定しやすく、勝負どころで力を発揮できるようになります。
そして何より、自分を責める癖がなくなる。
努力を褒めるという行為は、自分に対して“敬意”を払う行為でもあります。
自分を責める方向ではなく、自分を育てる方向へと心が向かう。
これが、競技者のメンタルを根本から整えていくんです。
努力を褒めるという行為は、ただ自分を甘やかすためのものではないです。
むしろ、心の土台を静かに整えていくための、大切な技術だと言えるかもしれません。自分の努力をきちんと認められる選手は、続ける力が強くなりますし、結果に振り回されにくい。
どんな状況でも、心が大きく揺れない“芯”のようなものが育っていく。
そして面白いのは、そうした変化が、派手な出来事ではなく、本当に小さな行為──「今日もやれたな」と自分にそっと声をかける、その一瞬から始まるということです。
気づけばその積み重ねが、競技人生を支える確かな土台になっていく。努力を褒めるとは、そういう静かで力強い営みなんだと思います。
努力を褒めることが、努力の“自動化”を生む
前述でも少し触れましたが、人は、褒められた行動を自然と繰り返します。
その仕組みとして、これは脳の報酬系の働きで、 「快」→「またやりたい」 という流れが生まれるからです。
努力を褒めると、 努力が“快”として脳に刻まれる。
すると、 努力が“自然な行動”に変わり、 努力を努力だと思わなくなる。
これは、競技者にとって非常に大きな武器になります。
努力を努力だと思わなくなる境地は、勝手に訪れない
多くの選手が誤解しているのはここです。
努力を努力だと思わなくなる境地は、 勝手に訪れるものではありません。
その境地に至るためには、
- 努力を認める
- 努力を褒める
- 小さな進歩に気づく
- 行動を“快”として刻む
- 自分の内側の声を整える
こうした積み重ねが必要です。
努力を努力だと思わなくなるのは、 努力を大切に扱ってきた人だけが辿り着ける場所。
最後に──競技者に伝えたいこと
努力は、あなたを苦しめるためのものではありません。 努力は、あなたを生かすためのものです。
だからこそ、 努力を努力だと思わなくなる境地を目指してほしい。
でもそのためには、 努力している自分を認め、褒めることが必要。
努力を褒めることは、 甘えでも、妥協でも、弱さでもありません。
それは、 あなたのメンタルを整え、 努力を自然な行動へと変えるために必要なこと。
努力を褒めることができる選手は、 努力を続ける力が強く、 心が折れにくく、 結果に左右されない強さを持つようになっていきます。
そしていつか、 努力が努力ではなくなり、 あなたの“生き方そのもの”になっていく。
その境地に至ったとき、 競技はもっと自由に、もっと豊かに、もっと楽しくなる。
あなたの努力は、すでに始まっています。 あとは、それを認めてあげるだけです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
コラム著者