肩書きではなく空気で届ける─スポーツメンタルコーチとしての「寄り添い」の在り方

「プロスポーツメンタルコーチです。」
そう名乗ることは、資格さえ取ってしまえば誰にでもできる。 だからこそ、その言葉が本当に誰かの心に届くまでには、時間と空気の積み重ねが必要だ。
競技者はいつも、「本番で力を出したい」「気持ちの波に負けないようになりたい」と願っている。 だからこそ、その願いの奥には、もっと言葉にならないような感情が横たわっていることがある。
「結果が出ないと、存在価値が揺らぐ」 「努力しているつもりなのに、自分を信じきれない」 「休んではいけない気がする」
そんな声に触れたとき、コーチとして必要なのは、技術でも答えでもなく──“空気のあり方”なのだと思う。
資格よりも「どう在るか」の方がずっと大切
日本スポーツメンタルコーチ協会の卒業生として、こうしてインタビュー動画を残していただいた。 それはありがたいことだし、一つの節目でもある。 でも私自身は、この動画を「実績」として誇るつもりはあまりない。
インタビュー動画
資格を取ったことで終わりなのではなく──そこから、「この肩書きを持つ自分がどう在るか」を問い続ける時間が始まった。
競技者は、コーチの“知識”よりも“空気”に敏感だ。 どれだけ専門用語を並べても、「この人は、自分の話を聞いてくれるだろうか」と感じてもらえなければ、言葉は届かない。
競技者の揺れに寄り添うとはどういうことか
私が関わってきた競技者たちは、みな努力を重ねていた。 競技第一優先で、結果に責任を持ち、自分を追い込みながら競技に向き合っていた。
でも、そんな彼らほど、「自分の揺れを誰にも見せられない」と悩んでいた。 親にも監督にも言えない葛藤。 練習では調子が良かったのに、試合ではいつも緊張に飲み込まれてしまう。 努力しているのに、心がついてこない。
そのとき、スポーツメンタルコーチとしてできることは──「答えを渡すこと」ではなく、「問いに一緒に立ち止まること」だった。
「大丈夫」も「こうすればいい」も、すぐには言わない。 まずは「その気持ちがあるのは当然」と伝えること。 そして、その揺れの中にある“自分らしさ”を少しずつ見つけていくプロセス。
メンタルコーチングとは「静かな対話の空間」だと思う
スポーツメンタルコーチングは、派手な技術やドラマチックな変化が売りではない。 むしろ、小さな違和感をすくい上げて、静かに言葉にする時間だ。
「なんとなく調子が悪い」 「最近、練習が義務みたいに感じる」 「大事な場面で呼吸が浅くなる」
その“なんとなく”の中に、すごく大事なことが隠れている。
競技者自身も言葉にできなかった揺れを、少しずつ見つめ直す。 それが、「結果を出すための準備」ではなく、「自分らしく競技に向き合う準備」に変わるとき、パフォーマンスも自然と変わってくる。
この動画に込めた想い
このインタビューでは、 私がなぜこの道を選んだのか。 どんな競技者に寄り添ってきたのか。 どんな瞬間に「スポーツメンタルコーチとしての意味」を感じたのか。 そういった問いに向き合っています。
言葉にすると、ほんの数分の動画かもしれません。 でも、その裏には積み重ねてきたメンタルコーチングの記録と、今まで関わってきた選手との静かな時間があります。
私の仕事は、「肩書き」で信頼されることではありません。 むしろ、「この人の前なら、自分を見せられるかもしれない」と感じていただけることだと思っています。
最後のメッセージ
スポーツメンタルコーチとしての歩みは、資格ではなく空気で育つ。 この動画が、そんな姿勢の一端でも伝わるものであれば幸いです。
よければ、他のコラムもあわせてご覧ください。 競技者の揺れや問いに、静かに寄り添う言葉たちを、日々更新しています。