マンネリという成長──揺れのない時間が育てるもの

マンネリを感じるときこそ、成長している証かもしれない
マンネリが生まれるのは、続けてきた証
「飽きてしまった」「つまらない」「また同じ練習だ」──そんな声が、自分の中から静かに聞こえてくる。 競技を続けるなかで、ふと訪れるこのマンネリ感。 それは「成長が止まったサイン」ではなく、“積み重ねてきた結果”として現れる自然な揺れなのだと思います。
始めたばかりの頃は、毎日が新鮮でした。 新しい動き、新しい実感──目に見える成果も感じやすかった。 でも、ある程度の段階を過ぎると、違いや成長は微細になり、自分自身でも「何が変わっているのか」が分かりにくくなってくる。
そんなときこそ、競技との関係が変わり始めている証。 “結果”よりも“感覚”を見つめる時間が始まっているのです。
変わらない日々に、何かが育っている
目に見える成果が減ったときほど、自分自身の内側に耳を澄ませる時間が増えます。
- 今日はなぜ、集中できなかったのか?
- どの瞬間に気持ちが止まったのか?
- どんな言葉に、反応したのか?
競技の本質は「刺激」ではなく、「関係性」です。 続けているうちにマンネリが訪れることは、その関係性が定着してきた証でもあります。 “何ができるか”だけでなく、“どんなふうに向き合っているか”という感覚が育ち始めている。
そしてそれは、数字や結果には表れない。 でも、確かに蓄積されていく。 自分との関係を静かに見直す時間──それこそが、マンネリ期の本質かもしれません。
マンネリの中で、逃げずに過ごしてみる
モチベーションが下がったとき、新しい刺激を求めたくなるのは自然なことです。 環境を変えたり、新しいトレーニングに手を出してみたり──そうすることで一時的に気分が持ち直すこともある。
でも、もしそれが「逃げ」になっているとしたら、 何度新しいことを始めても、根本の揺れは解消されない。
だからこそ、マンネリの時間は“何かを変える”ための時間ではなく、“その時間とどう過ごすか”を選び直す時間なのだと思います。 整える必要はない。無理して乗り越える必要もない。 ただ、その空気と一緒に静かに過ごしてみる。 それだけで、自分が見え始めることもあります。
マンネリを味方にできる競技者は、強い
競技を続けることは、感情と習慣の繰り返しです。 その中で、マンネリを感じることは自然な揺れです。 でも、そこで「変えなきゃ」と焦るのではなく、 「この感覚の中で何に気づけるか?」と問い直せる人は、競技との関係が深まっていく。それは、技術以上に大切な“自分との信頼”だと思うのです。
まとめ
マンネリとは、止まっている時間ではない。 それは、自分自身と競技の関係が変わっていく前触れ。 モヤモヤのまま過ごしてもいいし、気分が乗らない日が続いても構わない。 そのなかで何に気づくか──それが、競技者としての深まりに繋がっていく。
最後のメッセージ
「何となく続いているだけの練習」に、意味はあるのか? ある。 同じ日々に自分がどう反応しているかに目を向けたとき、競技との関係が静かに変わり始める。 その“何かが変わる前の揺れ”に気づける人は、強い。 私はその静かな可能性を、今日も信じている。
コラム著者